耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography, PQC)
【執筆】株式会社トリロジー
【登録】財務省近畿財務局長(金商)第372号
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耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography, PQC)とは、量子計算機が実用化された場合にも安全性を維持できるように設計された暗号技術です。量子コンピュータの開発が進むにつれ、従来の暗号技術(RSAやECCなど)が量子アルゴリズム(特にShorのアルゴリズム)によって解読されるリスクが指摘されています。そのため、量子コンピュータの影響を受けない、または影響を受けにくい暗号方式を構築することが求められています。
背景と必要性
現在、広く使われているRSA暗号や楕円曲線暗号(ECC)は、因数分解や離散対数問題といった数学的難題を基盤にしており、これらの問題を解くことが非常に難しいために安全とされています。しかし、量子計算機が実用化されると、以下のアルゴリズムにより、これらの問題は効率的に解かれてしまう恐れがあります。
- Shorのアルゴリズム
- RSA暗号やECCの基盤である大きな整数の因数分解や離散対数問題を、量子計算機上で効率よく解くことができるアルゴリズムです。これにより、従来の暗号は数分で解読される可能性があります。
- Groverのアルゴリズム
- 対称鍵暗号(AESなど)に対しては、鍵探索の効率を倍増させる(探索時間を平方根に短縮する)ため、鍵長の2倍化が必要とされます。
これらの背景から、量子耐性を持つ暗号技術が新たに求められ、耐量子計算機暗号の研究が進められています。
耐量子計算機暗号の基本的なアプローチ
耐量子計算機暗号の設計には、量子計算機でも効率的に解くことが難しい問題を利用します。以下はその主要なアプローチです。
格子暗号(Lattice-Based Cryptography)
- 格子暗号は、数論的格子(数の集合)の構造を基にした暗号方式です。量子計算機でも効率的に解くことが難しいとされる、SVP(Shortest Vector Problem: 最短ベクトル問題)やLWE(Learning With Errors)といった数学的問題を基礎にしています。
- 代表的な応用例として、NTRUやCRYSTALS-Kyber(NISTが標準化に向けて選定した一つ)などがあります。これらは、鍵生成や暗号化・復号において高速で、格子暗号の中でも特に有望視されています。
符号暗号(Code-Based Cryptography)
- 符号暗号は、誤り訂正符号(ECC: Error-Correcting Codes)の難解な構造を利用して、安全性を確保する方式です。具体的には、McEliece暗号が代表例で、1978年に提案されて以来、量子コンピュータに対しても安全性があるとされています。
- 符号暗号は、鍵のサイズが大きくなりがちですが、既存のシステムに組み込みやすいという利点があります。
多変数多項式暗号(Multivariate Polynomial Cryptography)
- 多変数多項式暗号は、複数の変数を持つ高次多項式を基に暗号化を行う方式です。例えば、解読が困難な非線形方程式系を利用して秘密鍵を構築します。
- このアプローチは、特に署名方式で多く研究されており、Rainbowといったアルゴリズムが例に挙げられます。
ハッシュベース暗号(Hash-Based Cryptography)
- ハッシュベース暗号は、量子計算機に対しても解読が困難なハッシュ関数を利用して署名や認証を行う方式です。特に、Merkle Tree構造を用いたMerkle署名が有名です。
- この方式は安全性が高い一方で、署名サイズが大きくなるというデメリットがあります。しかし、非常にシンプルで理解しやすい構造であるため、標準化の対象にもなっています。
NISTの標準化プロセス
アメリカ国立標準技術研究所(NIST)は、量子耐性暗号の標準化を進めており、2017年から標準化プロジェクトが開始されています。このプロジェクトでは、多くの研究者や企業が提案した量子耐性暗号の候補から、最も安全で効率的なアルゴリズムを選定しています。
- 最終候補として、格子暗号ベースのCRYSTALS-Kyber(鍵交換)とCRYSTALS-Dilithium(デジタル署名)が選ばれています。また、ハッシュベースのSPHINCS+も署名方式として有力視されています。
- NISTの標準化プロセスは、量子計算機が実用化された際にも信頼できる暗号方式を採用することを目的としており、2024年以降に正式な標準化が期待されています。
耐量子計算機暗号の課題と未来
耐量子計算機暗号には多くの利点がありますが、いくつかの課題も存在します。
鍵サイズとパフォーマンスの課題
- 量子耐性暗号は、従来のRSAやECCと比較して、鍵サイズや署名サイズが大きくなりがちです。これにより、通信コストが増加し、処理速度も低下する可能性があります。
- 特に、モバイルデバイスやIoT機器など、リソースが限られた環境での実装において、効率的なアルゴリズムの採用が求められます。
互換性の確保
- 耐量子計算機暗号の導入には、既存のシステムやプロトコルとの互換性を考慮する必要があります。これには、新しい暗号方式への移行期間や、過去のデータの安全性の確保が含まれます。
- 例えば、金融機関や医療機関などのデータ保護が厳しい分野では、移行期間中にセキュリティが確保されるような対策が求められます。
量子コンピュータの進展
- 現在の耐量子計算機暗号は、量子コンピュータが解読困難とされる問題に基づいて設計されていますが、量子アルゴリズムの進展によって、新たな解読方法が登場するリスクも考慮する必要があります。そのため、継続的な研究開発と検証が不可欠です。
耐量子計算機暗号の適用分野と今後の展開
耐量子計算機暗号は、以下のような分野での応用が期待されています。
- 金融機関のセキュリティ
- 金融取引や銀行間の通信におけるセキュリティ強化として、耐量子計算機暗号の導入が進められています。特に、決済システムや国際送金などの高いセキュリティが求められる場面での適用が考えられます。
- 政府・軍事のデータ保護
- 国家機密や軍事情報の保護にも耐量子計算機暗号が利用される見込みです。量子コンピュータの登場に備えて、長期間のデータ保護を必要とする領域での早期導入が進められています。
- クラウドセキュリティとIoT
- クラウドサービスやIoTデバイスは、データの転送や保管においてセキュリティが重要です。
耐量子計算機暗号(Post-Quantum Cryptography, PQC)は、将来の量子コンピュータの出現に備えた暗号技術で、金融、政府、クラウドセキュリティなど多岐にわたる分野での適用が期待されています。この技術は、量子コンピュータによる解読を困難にするために設計されており、量子計算機の進展に伴い、今後もその重要性が増していくでしょう。
量子コンピュータが解読可能な従来の暗号方式(RSA、ECCなど)に代わり、格子暗号や符号暗号、多変数多項式暗号、ハッシュベース暗号などの新しいアプローチが採用されています。これらの技術の開発・標準化は、アメリカ国立標準技術研究所(NIST)が主導するプロジェクトで進められ、特にCRYSTALS-KyberやCRYSTALS-Dilithiumが次世代の暗号方式として注目されています。
耐量子計算機暗号の導入には、鍵サイズの大きさやパフォーマンスの課題、既存のシステムとの互換性の確保などのチャレンジがあります。また、量子アルゴリズムの進化に対応するため、継続的な研究と検証が不可欠です。
耐量子計算機暗号の適用は、特に以下の分野で進んでいます。
- 金融
- 送金システムや銀行間の通信の安全性を高めるため、量子耐性を持つ暗号が採用されています。
- 政府機関と軍事
- 国家機密の保護において、長期的に安全な通信を実現するため、量子耐性暗号が導入されています。
- クラウドセキュリティとIoT
- クラウドサービスや多くのIoTデバイスで使用されるデータ暗号化において、量子計算機に耐えうる暗号技術が求められています。
このように、耐量子計算機暗号は、量子コンピュータ時代においても安全性を確保し続けるための新しい暗号基盤として、今後のインフラにとって不可欠な要素となっています。
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